京成電鉄110年目のありがとう

京成電鉄株式会社は、1909年(明治42年)6月30日に「京成電気軌道株式会社」として発足して以来、おかげさまをもちまして今年創立110周年を迎えることとなりました。
これもひとえに、沿線のお客様をはじめ今まで支えてくださった皆様の長年にわたるご支援、ご愛顧の賜物であり、心から感謝申し上げます。
これからも、京成電鉄は「いろんな笑顔を結びたい」をスローガンに、皆様のお役に立ちますよう努めて参ります。今後とも変わらぬご支援・ご愛顧を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

2019年(令和元年)6月30日

1909年 創業期 1909年 創業期

1909

京成電気軌道敷設特許状の取得
『京成電気軌道』敷設特許状の取得

歴史の大転換期となる明治維新以降、我が国は西欧化と近代化が急速に進展していった。そうした時代の中で、発起人飯村丈三郎ほか19名は、東京から成田までの電気軌道敷設特許願を提出。1907年(明治40年)5月28日、念願の特許状を取得し、2年後の1909年(明治42年)6月30日、京成電気軌道株式会社が設立されたのである。

京成電気軌道(株)創立総会開催。本多貞次郎が専務取締役就任

資本金150万円(本社東京市麹町区八重洲1-1)

1912

帝釈人車軌道(株)を買収

押上~市川(現江戸川)間・曲金(現京成高砂)~柴又間11.5km開通

中川橋梁を渡る1形(大正元年) 白土貞夫氏所蔵

中川橋梁を渡る1形(大正元年) 白土貞夫氏所蔵

1913

曲金駅を高砂駅へと駅名変更

中川橋梁を渡る1形(大正元年) 白土貞夫氏所蔵

開業当時の京成高砂駅付近(大正3年頃)

柴又~金町間1.5km開通

1914

市川(現江戸川)~市川新田(現市川真間)間1.7km開通

市川駅を江戸川駅へと駅名変更

江戸川橋梁を渡る1形(大正初期) 関田克孝氏所蔵

江戸川橋梁を渡る1形(大正初期) 関田克孝氏所蔵

1915

国府台駅を市川駅へと駅名変更

市川駅を市川新田駅へと駅名変更

市川新田(現市川真間)~中山間3.5km開通

1916

中山~船橋間4.3km開通

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1921年 拡充期 1921年 拡充期

1921

江戸川を越えて千葉県へ
江戸川を越えて千葉県へ

東京から千葉に至る路線で難関の1つであった江戸川越え。河川改修の不備などの悪条件で江戸川の架橋工事は困難を極めたが、1914年(大正3年)8月、全長226mに及ぶ江戸川橋梁が完成。さらに起伏の多い丘陵地の切り通し工事が困難だった市川新田〜中山間を1915年(大正4年)11月に、次いで翌年12月に中山〜船橋間を開通。沿線の人口は増加し、さらなる新線に住民の期待が高まる中、1921年(大正10年)7月に船橋〜千葉間が開通し、押上〜千葉間36.9kmが全通となったのである。

市川駅を市川国府台駅へと駅名変更

市川新田駅を市川真間駅へと駅名変更

船橋~千葉(現千葉中央)間17.5km開通

1926

津田沼~酒々井間25.3km開通

酒々井~成田花咲町間6.0km開通

1927

江戸川橋りょう複線化工事竣工

花輪~谷津遊園地間0.9km開通(昭和9.6.22廃止)

1928

向島~白鬚間1.4km開通(昭和11.2.28廃止)

白鬚駅(昭和初期)

白鬚駅(昭和初期)

1930

成田花咲町~成田間0.3km開通

成田花咲町駅廃止

成田線に導入したモハ100形(昭和初期)

成田線に導入したモハ100形(昭和初期)

1931

連絡運輸開始に伴い全国的に同一駅名がある場合のみ“京成”を冠することに決める

日暮里~青砥間9.4km開通

1933

日暮里~上野公園間2.1km開通

白鬚駅(昭和初期)

開通時の上野公園駅(昭和8年)

1934

谷津遊園地駅廃止

1936

長浦駅、玉ノ井駅、白鬚駅廃止

1942

浜海岸駅を帝大工学部前駅へと駅名変更

八幡駅廃止

新八幡駅を京成八幡駅へと駅名変更

1943

中山鬼越駅を鬼越駅へと駅名変更

1945

京成電気軌道(株)から京成電鉄(株)へと社名変更

1947

道灌山通駅、西千住駅、向島駅廃止

1948

市川国府台駅を国府台駅へと駅名変更

谷津海岸駅を谷津遊園駅へと駅名変更

帝大工学部前駅を工学部前駅へと駅名変更

1949

京成請地駅廃止

1950

京成花輪駅を船橋競馬場駅へと駅名変更

1951

宗吾駅を宗吾参道駅へと駅名変更

工学部前駅を黒砂駅へと駅名変更

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1960年 発展期 1960年 発展期

1952

特急「開運号」の登場
特急「開運号」の登場

戦後の混乱が落ち着き、人々の関心は次第に余暇に向けられた。そんな時代背景の中、特急「開運号」の運行を開始。上野公園~京成成田間を約88分で結び、毎日1往復した。翌年には、大型の2枚窓、ヘッドマーク、車内売店などを備え、私鉄で初めてのリクライニングシートを採用した「開運号」専用の新車両1600形が登場。1954年(昭和29)年8月には、日本で初めてテレビを搭載した。利用者の増加に伴って中間車が増備され、3両編成となったのである。

特急「開運号」運転開始(1500形2両編成)

1953

上野公園駅を京成上野駅へと駅名変更

「開運号」1600形車両の運転開始(昭和42.11.12廃止)

1600形開運号のロマンスシート(写真は昭和31年)

1600形開運号のロマンスシート(写真は昭和31年)

中山競馬場駅を東中山駅へと駅名変更

1959

改軌工事(10.9~)完了し、全線1,372mmから1,435mmとなる

台車交換作業(昭和34年)

台車交換作業(昭和34年)

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1960年 発展期 1960年 発展期

1960

念願の相互乗り入れ開始
念願の相互乗り入れ開始

都営地下鉄1号線(現都営浅草線)の押上~浅草橋間が開通したことにより、都営地下鉄との直通運転を開始。日本初となる郊外電車と地下鉄との相互乗り入れは、新たな歴史の1ページとなった。その後1968年(昭和43年)6月に都営地下鉄が大門~泉岳寺間を開通、京浜急行が品川~泉岳寺間を開通したことから、1957年(昭和32年)の三者協定締結から実に11年の歳月を経て、千葉・東京・神奈川を直結する動脈が誕生したのである。

押上地下駅営業開始

押上駅地下ホーム(昭和35年)

押上駅地下ホーム(昭和35年)

都営地下鉄に直接乗り入れ開始(押上~浅草橋間)

1963

船橋競馬場駅をセンター競馬場前駅へと駅名変更

1967

千葉海岸駅を西登戸駅へと駅名変更

新千葉~京成千葉(現千葉中央)間の高架化工事完了

押上新本社屋完成

1968

三者(京成、都営地下鉄、京浜急行)相互直通乗り入れ開始

三者直通特急の運転開始

三者直通特急の運転開始(昭和45年)

1970

お花茶屋~青砥間高架化工事完了

1971

黒砂駅をみどり台駅へと駅名変更

1972

青砥付近連続立体化工事及び青砥・京成高砂間複々線化工事はじまる

3500形新型車両を導入

1973

特急「スカイライナー」を京成上野~京成成田間で運転開始

京成上野~京成成田間で運転を開始したAE形(昭和48年)

京成上野~京成成田間で運転を開始したAE形(昭和48年)

1974

特急「スカイライナー」が鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞

スカイライナー、ブルーリボン賞受賞(昭和49年)

スカイライナー、ブルーリボン賞受賞(昭和49年)

1976

京成上野駅改良工事竣工

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1978年 展開期 1978年 展開期

1978

成田空港線の開業
成田空港線の開業

成田空港の開港翌日、空港新線は営業を開始。午前6時30分、成田空港行きスカイライナーは、多くの思いを乗せ京成上野駅を出発した。開港に備え設立した成田空港交通株式会社のターミナルバスも同時に運行を開始し、待ち時間なく旅客を成田空港駅からターミナルまで輸送した。空港新線により京成電鉄は、成田山参詣客や沿線住民の輸送に加えて、空港輸送という新たな使命を得たのである。

空港新線開業(5.20成田空港開港)

1980

電車278両をファイヤーオレンジ色に統一

ファイヤーオレンジ塗装の3300形

ファイヤーオレンジ塗装の3300形

1982

3600形新型車両を導入

宗吾車両基地が完成

1983

スカイライナー(上り列車)を日暮里駅に停車。ボディカラーも一新

ボディカラーを一新したスカイライナー(昭和58年)

ボディカラーを一新したスカイライナー(昭和58年)

1984

谷津遊園駅を谷津駅へと駅名変更

イブニングライナーの運転開始

1985

青砥~京成高砂間複々線運転開始

通勤特急・モーニングライナーを新設

モーニングライナーの運転開始

モーニングライナーの運転開始

1987

葛飾駅を京成西船駅へと駅名変更

センター競馬場前駅を船橋競馬場駅へと駅名変更

国鉄千葉駅前駅を京成千葉駅へと駅名変更

京成千葉駅を千葉中央駅へと駅名変更

1988

2100形・210形車両廃止

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1990年 推進期 1990年 推進期

1990

成田空港ターミナル乗り入れ
成田空港ターミナル乗り入れ

念願であった成田空港旅客ターミナル地下駅への直接乗り入れは、第3セクターである成田空港高速鉄道株式会社が旧成田新幹線施設を活用して路線を建設して実現。当社がその鉄道施設を借り受けて運転するものとなった。従来の成田空港駅を「東成田駅」と改称し、新しい空港ターミナル地下駅を「成田空港駅」とした。同時にスカイライナー全便を日暮里駅に停車し、JR線との乗り換えの利便性を向上させ、日暮里~成田空港間の所要時分を最速56分とした。

2代目スカイライナー(AE100形)の営業運転を開始

スカイライナーAE100形の車内

スカイライナーAE100形の車内

1991

成田空港ターミナルへ直接乗り入れ開始

成田空港駅を東成田駅へと駅名変更

成田空港ターミナル乗り入れ記念乗車券(平成3年)

成田空港ターミナル乗り入れ記念乗車券(平成3年)

北総開発鉄道線と相互乗り入れ開始、3700形新型車両を導入

1992

千葉急行電鉄線と相互乗り入れ開始

千葉急行線との相互乗り入れ開始

千葉急行線との相互乗り入れ開始

1993

3000形車両のボディカラーをグレーに変更

1994

荒川駅を八広駅へと駅名変更

1997

TTC(列車運行管理システム)、全線で稼働開始

TTCの中枢機能が置かれた運輸司令室

TTCの中枢機能が置かれた運輸司令室

1998

千葉急行電鉄の営業を引き継ぐ

成田空港~羽田空港間直通列車運転開始

成田空港~羽田空港間直通列車

成田空港~羽田空港間直通列車

1999

荒川橋りょう架替工事により新下り線での営業開始(上下線とも新線で営業開始)

2000

鉄道共通乗車カードシステム「パスネット」を導入

パスネットカード

パスネットカード

2002

芝山鉄道との相互直通運転開始

2003

新3000形車両を導入

新3000形

新3000形

半蔵門線延伸に伴う押上駅連絡設備供用開始

駅構内を終日禁煙化

2004

博物館動物園駅廃止

2005

平日の朝ラッシュ時女性専用車両を導入

2006

船橋付近連続立体交差事業:京成船橋駅・大神宮下駅が新下り線での営業開始(上下線とも新線で営業開始)

スカイライナー(一部列車を除き)京成船橋駅停車・千葉線と新京成線が直通運転

2007

交通系ICカード PASMOサービス開始

ICカード乗車券 PASMO、Suica IC カード相互利用サービス開始セレモニー

ICカード乗車券 PASMO、Suica IC カード相互利用サービス開始セレモニー

スカイライナー利用者が1億人突破

2009

創立100周年

創立100周年記念ロゴマーク

創立100周年記念ロゴマーク

日暮里駅3階下り線新ホーム営業開始

空港第2ビル駅新設上りホーム営業開始

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1921年 躍動期 1921年 躍動期

2010

都心~成田空港最速36分 新型スカイライナーデビュー
都心~成田空港最速36分
新型スカイライナーデビュー

都心と成田空港を結ぶ新たなアクセスルート、成田新高速鉄道が2010年(平成22年)に開業。これと同時に登場した新型スカイライナーは、日本の在来線としては最速の時速160Kmで走行し、日暮里から空港第2ビル間を最速36分で結ぶ。これにより速達性は大幅に向上し、世界の主要空港と比較しても引けを取らない空港アクセスを誕生させたのである。

※日暮里駅〜空港第2ビル駅間のスカイライナーの最速所要時間(分)です。

京成高砂駅金町線高架化、金町線専用ホーム営業開始

成田空港線(成田スカイアクセス)開業

3代目スカイライナー(AE形)の営業運転を開始

3050形新型車両を導入

3代目スカイライナー(AE形)「グッドデザイン賞」受賞

成田スカイアクセス「第9回日本鉄道賞」受賞

2011

3代目スカイライナー(AE形)が鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞

2013

八幡本社移転

2015

3300形車両廃止

押上線(押上~八広間)下り線高架化、曳舟駅新下りホーム営業開始(上下線とも新線で営業開始)

モーニングライナー、イブニングライナーの停車駅に京成船橋駅を追加

2016

AE100形車両廃止

デジタルATS「C-ATS」京成全線導入完了

2017

全駅自動券売機多言語化

2018

当社初のホームドアを日暮里駅下りホームに設置

2019

京成上野駅改良工事竣工

創立110周年

KEISEI 110th ANNIVERSARY

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